「クリスチャン・マークレー+大友良英:Found Object」感想
有料のライブなどはたくさんは見られないので一つにしようと思い、せっかくならオープニング的タイミングのがいいかなと、今日のクリスチャン・マークレー+大友良英:Found Objectに行くことにした。
会場においてあるものは写真1枚目にある通りで、そこらへんにある生活用品的なものなど。ポリバケツとか自転車とか竹ざおとか鍋のフタみたいのとか。公演始まるとお二人がそれらを使って様々に音を出していく。
主宰高橋はふだん家では殆ど音楽かけてなくて、環境音があるだけのが好きなのだけど、そうした環境音というか、「生活しているからその辺にあるもので無意識に出てしまう音」が意識的にいろんな形で出ているなあと思ったり。
音楽をやるのに音を出すのはいわゆる楽器屋さんで売ってるような楽器でなくていいのかなというようなこととか、「音楽」っていうものをどこまで広げて使えるのかなとか思ったり(最近、「芸術」もなんでその括りがあるのかよく分からなくなっていたので。絵描きのくせに)。
お二人はとても身の回りの、なんでも、ものを遊び慣れているのではないかなあと強く感じたところ(今回用意された道具に慣れている、という意味でなく)。竹竿を天井に当たるまでブンブン振っても天井の蛍光灯を割らないし。まあ、梁井さんのツイートの孫の手のお話もあるけど(笑)。
で、そこで思ったのが、「自分・自分たちはふだん身の回りにあるあらゆるものを遊び尽くしているか」ということ。「札幌」とかそういう括りに限らず、「自分が生きている」と認識している「今ここ」みたいなところで。
それをできるようになるのか、できたらどんなことをやるのか?「これも遊べる」というものをたくさん見過ごしているんじゃないだろうか(ガラクタってこと?)。
あと、ちょっと話違うのだけど、先日市内の某ギャラリーで「女性の方が身体性が高い」といったお話を伺って。「女性の方が“かわいい”“こわい”とか、感じたことがスッと出る」といったような例をいただいたのだけど、自分はそういった言葉を頻発している自覚なかったので(きっといっぱい言っているのだが…)お話を聞いているときはあまりピンと来ていなかった。
で、今回のライブでどの音が好きかなと反芻してて、「ホースがひゅんひゅんいっていたやつと、自転車を高速でシャーてやってたときのと、羽毛の枕がファーてなってたときかな」って思った時に、自分のあまりの擬音の多様に「あの話ってこれか!!!」って急に気づいたのが個人的ハイライト。
違うかもしらんし、語彙力の問題かもしれないけど…。 そんな感じで、色々考えていた(他の人はまた違うこと考えていたりしたみたい)。
てなことをツイートしていたのだけど、「長くなった。ブログに書けばよかったのかも」と思ったのでブログに転記しておきました。
で、公演終わったあとの会場が写真2枚目。羽毛も飛び散ってすごいことに(でも羽毛の枕をファーて散らかすの憧れ)。
なんだかちょっとお腹いっぱい感あるので、「芸術祭、もうこれでいいかな…」的な気分なのだけど、展示は時間あるとき、見ます。
(執筆:主宰高橋弘子)