【報告会】『SIAFラボ2017報告会』2017/3/25

◯報告会について
2017/3/25、札幌市資料館内SIAFラウンジにて開催された『SIAFラボ2017報告会』を聞いてきました。主な報告をSIAF事務局の漆さんなどが行うほか、ゲストには多摩美術大学教授でありアーティストの久保田晃弘さんがご登壇されてました。
(久保田教授の敬称記載がなかったため2017/4/2に敬称を追記しました)

一応メモをアップします。ご参考までに。なるべく齟齬のないようにメモしようと思ってはおりますが、メモに過ぎないことと、主催高橋が思ったことが混ざっている点はご留意を。
※自分の思ったことには(高橋)と記載することにしました。

報告の内容そのものは「まあ、そうね」という感じで聞いていたのですが、このSIAFラボは本祭(SIAF=札幌国際芸術祭)の裏側のフィールドになってくるので、参加者の中には「楽しさがなかなか周りに伝わらない」という人も。今回の報告会に参加していたのも編集会議(SIAFラボの自主企画のひとつ)のメンバーが多く、普段関わってない一般市民は少ないような様子であったので、広がりを持つのに難航してそう。本祭では広がりを持つのかもしれないけど。

◯campの意味
来年度(2017年度)はこれまでの自主企画のほか「CAMP SITE PROJECT『裏庭』」というのがくる模様。資料館の裏庭でキャンプを試みることから「パブリック」というものを考えてみようという企画らしいですが、それよりも久保田さんなどから出た「camp」という美術用語についてのお話が興味深かった。スーザン・ソンタグという方が「《キャンプ》についてのノート」で提唱した審美的様式らしい。『反解釈』という言葉が出てきた。書籍があるようなので読んでみたい。

◯「鑑賞者との関係性」
今回の報告会のなかで最も興味深かったのは

「“作家”という概念ができてしまったことがアート界のひとつの不幸ではないか。作品と鑑賞者との間に関係性ができることが重要なのであって、作家が誰かはどうでもいいこと」

というお話。
芸術祭にあてはめるならば、「芸術祭と鑑賞者の間にどういう関係性が生まれたか?」が大事では、という話。少なくとも今の時点では腑に落ちるなと思いました。
報告会終了後ひとりで色々考えていて、「芸術祭ってなんだ?」についての新たな答えとして「芸術祭は“媒体”」ではないか、などと考えたり…。何と何をつなぐ媒体なのかは複数の答えがあるかもしれないし(大半は「芸術祭と市民」?)、同じ組み合わせのものを媒介する時でも内容や個体が違えば違う反応が起こるのかもしれない。「媒体」と言ってしまうと捉え方が広過ぎるかもしれないですけれども。

あと、モヤモヤしたアレとは話がずれるのだけど、主催高橋も絵を描いて活動しているなかで、「何かを思ってそれを表そうとして絵を描くこと」と「何かを思ってそれを伝えようとして言葉などにすること」の違いがよく分からなくなっており、「“アート”というものがなにやら特別なもののようにくくられていること」や「絵を描けるのがすごいことのように言われること」に違和感を覚えていたため、「作家はどうでもいい」という今回のお話は、主催高橋が考えていることと全く同じ話ではないかもしれないけれどもヒントになる予感がしました。

◯最後に
5月半ばにも諸々発表があるようです。様子を見てみたいと思います。

以上

(執筆:主宰高橋弘子)


メモのPDF版はこちら↓
SIAFラボ2017報告会メモPDF


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